自己紹介と野望その2~中学校入学以降~

日記



自己紹介と野望その2~中学校入学以降~


自己紹介と野望


みなさんこんにちは!
今まで色々な記事をここに書いてきましたHKです。
今日は自分がどんなことを考えてブログを書いたり日々生きているのか。また、ここまでどんな人生を送ってきたのかを簡単?に綴ってみたいなと思います!
基本的にはバスケットボールの事ばかり書いてきたのでそこに絡めた話をしていけたらなぁと思いますね!

いかにしてバスケットボールで生きていこうと思ったのか、そしてどんなことをしていたら少しずつ道が開けてきたのかなどを語りたいと思います。


中学校入学~卒業


小学校を卒業して入学した中学校の部活。自分たちの集まる中学校は3つ程の小学校から生徒が集まるのですがミニバスのある小学校はうちの小学校だけ、特に熱心に部活をやっているわけでもなくただ普通の学校でした。

部活の入学したときのキャプテンは小学校の時の先輩。小学校を卒業してから入った部活はなんでこんなにみんな身体が強いんだ、痛い!とか思ってたと思います。
たぶん慣れたのは3年生が引退したくらいだったでしょうか?
例に漏れず1年生の時は市内1回戦負けのチームに逆戻りした僕らですが特に深く考えもせず毎日の部活を繰り返していました。それは1つ上の代になっても変わらず相変わらず市内ベスト8.小学校のときと同じ流れを辿っていたのでした。

今思い返しても夏の大会とかなんやらとかあんまり覚えていません。まじで。
転機があったのは自分たちが二年生になった4月。
顧問の先生が変わったのでした。新しく来たのは同じ市内の他の中学を何年か前に県大会まで押し上げた鬼監督(笑)

ここから地獄の中学校練習生活が始まったのでした。

今でも覚えています。朝練習での二重とび100回からの28分間走
休日の練習はフットワークで1時間半
地獄のハンズアップラン10往復(両手を挙げながらあーーーーと声を出してコートを往復します)

とにかく走る練習が多かった。今考えればいい練習だったなと思えますけどとにかくきつかった印象しかないです。
ただ一緒にやっていた同級生が誰も辞めると言い出さなかったから辞める発想がなかったのだと思います(それまでに辞めたやつはまぁまぁいた)

結果から言うと高校の部活はサークル状態だったので嫌で辞めてしまったので今の自分のバスケットを形作っているのはこの中学校時代の基礎練習がベースになっているのです。





自分たちの代で新人戦で3位
春の県大会予選で3位
夏の総体で3位

全部市内3位で終わりました。春は県大会まで行きましたがダブルオーバータイムの末負け。
中学校時代はいい結果って残してないけど色々と思いでは深かったなーと思います。

これもやっぱりきつい練習をみんなで乗り越えたみたいのがあるのかもしれません。
だってシャトルラン当時154走ったもん。(それでも同じ部活にもっと走ったのが二人いました。一人は180でテープが終了しました)

この中学生活にて自分の部活生活は終了。

高校で膝の靭帯を切り手術
専門ではサークルでのらりくらりバスケをして、本気でバスケットを練習しようとなったのは23歳くらいからなのでした。

高校2年のときに遊びでバスケットをしていて膝の前十字靱帯を切り、それまでは順天堂大学に行ってまた部活でバスケットをしたいと思っていたし将来はスポーツトレーナーになりたいと思っていたけど無理かなぁと思い始めていました。

そんな折、膝を手術することになり、理学療法という仕事に行きつきました。当時はあぁ、俺これでいいや!みたいなテンションで決めた仕事でしたが今これが本業になると医学の知識もとても必要になるし実際に手術や解剖などに触れる機会も多くとても今の自分を形作る助けになったなと思います。

その後トレーナーの資格もとり、結果的に昔自分のやりたかった事が出来る環境になって来ました。
また、バスケットボールでもひたすら真面目に、大人になってからもどうしたら上手くなれるのかを考えて日々トレーニング、練習をしていたらいい出会いが生まれ、普通だったら出ることも出来ないSOMECITYへの参加の話も頂くことが出来ました。(どんなものか気になる方はSOMECITYで検索)


どんな事でも最初から上手くいく事は多くなく
ひたすら続けてきた人たちが世の中で結果を出しています
ただ、続けるためには好きじゃないと続かない
好きが得意よりも強いと言われるのはその為だと思います
自分に関わった人が、自分に相談をしてくれた人がその物事を「好き」になれるように発信をしていきたいと思います
続けることで絶対に道が開けてきます!一緒に「好き」を作れるようにしていきましょう!